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映画「バケモノの子」 楓は作品にいらない? 意外と批判意見もある内容をまとめてみた! 

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細田守監督が贈る冒険活劇『バケモノの子』は、孤独な少年・蓮(九太)が、乱暴者のバケモノ・熊徹と出会い、修行を通じて成長していく姿を描き、多くの観客の感動を呼びました。しかし、物語の後半、九太が人間界へ戻ってから登場するヒロイン、**楓(かえで)というキャラクターについては、一部の視聴者から「物語の展開を妨げている」「存在意義が薄い」**といった、意外にも厳しい批判意見が寄せられています。

なぜ楓はこのような賛否両論を呼ぶのでしょうか。この記事では、楓が作品にもたらす役割と、一部で批判される具体的な理由を検証し、細田守監督の他の作品と比較することで、彼女の存在意義を多角的に考察します。


🎬 『バケモノの子』あらすじ:孤独な少年が歩む二つの世界

物語は、9歳の少年・**蓮(れん)が、母を亡くし、人間界の渋谷で孤独を抱えるところから始まります。家族や居場所を失い、自ら「人間に戻る」ことを拒んだ蓮は、偶然迷い込んだバケモノの世界「渋天街」で、孤高のバケモノ熊徹(くまてつ)**に出会います。

蓮は「九太」という名を与えられ、熊徹の弟子として修行に明け暮れる日々を送ります。師弟は衝突を繰り返しながらも、互いに**「親」と「子」**のような強い絆を築き、九太は力強く成長していきます。

青年になった九太は、ふとしたきっかけで人間界の渋谷に戻り、進学校に通う女子高生、と出会います。彼女との交流を通じて、九太は失っていた人間としての知識や教養を取り戻し、人間界での生活と渋天街での修行という、二つの世界の間で揺れ動くことになります。

しかし、その頃、渋天街の九太の兄弟弟子である一郎彦が、人間の心の闇に飲まれ、世界を揺るがす大きな事件を引き起こします。九太は、育ての親である熊徹を守り、人間界とバケモノ界、そして自身の**「闇」と対峙する究極の選択**を迫られます。


🙅‍♀️ 楓が批判されている理由:「ヒロイン」としての役割の曖昧さ

楓に対する批判の多くは、物語の展開上の唐突さと、ヒロインとしての役割の描写不足に起因しています。具体的な批判の論点をまとめます。

1. 物語の焦点の分散

物語の前半は、九太と熊徹の師弟関係、すなわち「親子の絆」の構築と成長が核でした。しかし、青年期に戻った九太が楓と出会うことで、物語の焦点は「人間としての自立」「学問との出会い」「恋愛要素」など、多角的な要素へと一気に拡散します。特に、師弟関係の物語を重視していた視聴者にとって、楓との関係が急に進展し、物語のメインストリームが人間界の**「学問と恋」にシフトしたと感じられた点が、「バケモノの世界だけで完結してほしかった」**という意見につながりました。

2. 一郎彦との対比と発言の軽率さ

最大の批判点は、クライマックスにおける一郎彦との対峙シーンで楓が発したとされるセリフや行動です。一郎彦が、自身が人間であるという事実や、九太への嫉妬から心の闇に飲まれてしまった境遇を知らない楓が、**「誰でも心に闇を抱えている」**と発言する場面があります。

この発言は、九太の心の闇を救うという意味では重要ですが、悲劇的な境遇にある一郎彦に対してはあまりにも**「等しく軽い」言葉に聞こえてしまい、状況の深刻さを理解していない軽率さとして映ってしまいました。また、九太と一郎彦の「親子の絆」と「血の繋がり」**という、作品の最も重いテーマの対決に、人間界のヒロインが割り込む形になったこと自体が、物語の緊張感を削いだとして、否定的な意見を招きました。

3. 壁ドンシーンの違和感

九太が父親と再会した直後、**激しく動揺した勢いで楓に「壁ドン」**をするシーンも、現代の映像表現としての唐突さや、九太の感情の処理として不自然に感じられ、一部の観客を白けさせたという意見が散見されます。

このように、楓は九太を救う重要な役割を担いつつも、物語の後半に多くの要素を急いで盛り込むための**「装置」**として機能してしまった結果、キャラクターとしての感情の機微や、登場する展開の説得力が不足し、「いらない」という批判を生んでしまったと考えられます。


💡 細田守他作品との比較:ヒロインが持つ「人間の世界」の役割

細田守監督の作品では、主人公の成長を促す女性キャラクター、特に**「現実」や「人間世界」を象徴するヒロインが重要な役割を果たしてきました。楓もまた、九太にとって「人間界での師匠」(細田監督談)であり、「人間の世界」と「知性」**への回帰を象徴する存在として描かれています。

作品名ヒロインの役割楓との共通点
『時をかける少女』真琴:日常を愛し、時間を超えた経験を通じて**「今」**を大切にすることを知る。九太に人間界の日常や、未来へ目を向けることの大切さを教える。
『サマーウォーズ』夏希:大家族の絆の中心に立ち、現実と仮想世界の危機に立ち向かう**「強さ」**を持つ。九太の「心の闇」を指摘し、**人間的な知恵(栞のモチーフ)**で九太を救う。
『おおかみこどもの雨と雪』:**異質なものを育てる「母性」と、人間界で生きる「強靭さ」**を体現する。九太を「バケモノ」から「人間」に戻すきっかけとなり、人間的な教養を取り戻させる。

楓の決定的な役割は、九太に**「人間には知性や言葉があるからこそ、心の闇に打ち勝てる」という、熊徹の教えとは別の次元の「力」を授けた点にあります。熊徹が「力(肉体的な強さ)」を教えた師匠だとすれば、楓は「知性(精神的な強さ)」を教えた師匠であり、九太の二刀流の強さ**を完成させるために不可欠な存在です。

特に、クライマックスで九太が楓からもらった**「栞(しおり)」の言葉によって、自分を貫く「胸の剣(熊徹の魂)」を出現させ、心の闇を乗り越えるという描写は、「知性」と「絆」が九太を救った**ことを象徴しており、楓の存在を抜きには成り立ちません。

批判は、彼女の登場が物語を複雑化させたことに集中していますが、楓は九太を単に恋愛対象としてではなく、**「人間としてのルーツ」「未来」へとつなぎ留める「アンカー(錨)」**として、重要な役割を果たしているのです。


🌟 まとめ:楓は作品にいらないのか? 「人間としての完成」に欠かせない光

映画『バケモノの子』におけるというキャラクターは、九太と熊徹の熱い師弟物語の**「純度」を求める一部の視聴者からは、確かに異物**として映り、批判の対象となりました。物語後半の急な展開や、一郎彦の悲劇に対して踏み込みすぎたセリフ回しは、構成上の難点として指摘されても仕方ありません。

しかし、楓は物語上、九太が人間界に戻り、「蓮」として人間的な生活を取り戻し、最終的に人間として心の闇に打ち勝つというテーマを達成するために、**欠かすことのできない「光」**の役割を担っています。

彼女は、九太が人間としてのアイデンティティを再認識し、「親離れ」を経て、「人」として自立するための**「知性の師」**でした。熊徹の教えと楓の教え、そして人間界とバケモノ界の絆が融合して初めて、九太は完全な大人への一歩を踏み出すことができたのです。

『バケモノの子』は、「親子の絆」と「心の闇」という普遍的なテーマを扱いつつ、「人間とは何か」を問いかける作品です。楓は、その問いに対する「知性」という答えを体現する、論理的な意味で**「いるべき」**ヒロインであったと言えるでしょう。


個人的な意見のなので最後に筒りますが
視聴者が物語の結末や内容を改変させる力はありません。
批評の中にも作品へのリスペクトを欠かしてはいけないのです。


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